出会いの行方について

一期一会、というのは自分が中学生だった頃の学年テーマみたいな言葉なんだけど、たった一度の出会いを大切に、みたいなことを言いたい時に人はこの言葉をよく使う。

自分はこの言葉を好きでも嫌いでもなく、もしかしたら嫌いな部類に入るのかもしれないけど、あまり深くは考えたことがない。

けれど最近ちょっとしたことでこの言葉について一考する機会ができた。
あった出来事については省略するけども、考えたことは「大切にされなかった出会いはどこへ消えるのか」ということだ。
スーパーのバイトですれ違う同じ店員だとか客の話ではなく、正式に挨拶をして知り合って連絡先の交換までした相手との出会いというのはどう扱うべきなのだろうか。

例えば高校の入学やら進級後、大学生ならサークル活動、インターネットを通じれば不特定多数と会うオフ会のような場所で連絡先を交換することがあるかもしれない。
気の合った相手と繰り返し連絡を取り合って良い関係を築けるのは大変良いことだ。
しかし、うわべの付き合いから始まり、徐々に疎遠になっていくような友達と他人の間みたいな人との関係はどこへ消えてしまうのだろう。連絡先という糸だけが残り、それがいつのまにか切れていることだってある。


つい先日、電話帳から思い切って今まで電話もメールのやり取りもほとんどしなかった、あるいはこれからもしないだろうと思われる人の連絡先を携帯から消去した。
わざわざ消すこともないのだろうけど、言ってしまえば使わない連絡先なんて持ってたって仕方がないだろう。
一つ一つの連絡先を消すたびに少し心が痛んだけれど、これが「知り合う」前に連絡先を交換するということの弊害なんだろう。


それでまぁ、友達はよく選べ、なんて言うけど、それは取捨選択ではなくて自然と生まれてくる単一の選択肢なんだろうな、みたいなことを考えた。